お気に入りダジャレ
中堅ハチ公
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年10月19日
大将赤目
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年10月19日
母なる大地オアーーーー!
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年10月19日
母なる大地オアーーーーーーーー!!!
「この美味しい芋はなんて品種?」
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年11月5日
「安納芋」
「未知の芋なのか…」
鮭の稚魚を見た内田裕也「シャケのベイビー!!」
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年11月14日
「ボーナス支給されたの?」
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年12月16日
「しょうよ」
アントニオ猪木「ダァーーーー♡」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年2月22日
遥か遠くにあるソファ「So far」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年3月9日
壁にくっついている鋼の錬金術師「剥がれん」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年3月29日
軋轢「オギャー」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年4月27日
アラレちゃんの履いてるサンダル「KEEN」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年5月17日
腑に落ちた時の音「ふに」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年6月14日
鰊の数え方は「00,01,11…」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年6月18日
「サルサソースを作ったのは?」
— あきもさん (@harumoto1019) 2016年6月28日
「猿さ」
「そうっす」
くしゃみをするペプシマン「ヘプシッ」
— あきもさん (@harumoto1019) 2015年10月19日
江戸っ子の堀さんの休日「堀でぃ!」
— あきもさん (@harumoto1019) 2018年1月13日
ミイラ ※故人の乾燥です
— あきもさん (@harumoto1019) 2018年1月11日
ジャッキー・遅延
— あきもさん (@harumoto1019) 2018年1月10日
ぞ〜おさん ぞ〜おさん お〜まえが憎いのよ〜
— あきもさん (@harumoto1019) 2017年12月15日
mugo・ん…粉っぽい
— あきもさん (@harumoto1019) 2017年10月27日
正気じゃないGLAY「やがてく〜る〜う」
— あきもさん (@harumoto1019) 2017年8月8日
この世界の片隅に、をみて思った事をつらつらと
戦時下の日常。
食べること。働くこと。生きること。
うまく表現できない感情、感動があふれてずっと涙が止まらなかった。
嗚咽ではなく、スーっと自然に流れる涙。
子供が生まれてから涙もろくなったけれども、こんなに涙を流したのは祖父母の訃報を聞いた時以来だろうか。
小さい頃の記憶だけども、
祖父の肩には刀傷や銃で撃たれた傷が残っていた。
学校の課題か何かで、戦時中のことをおじいちゃんおばあちゃんに聞こう、みたいな事があった。
祖父は朝鮮半島に出兵していたらしい。
毎食キムチやら辛いものばかりで大変だったと話していた。
そして隊長が馬に乗って威張り散らしていたのが気に食わなくて、どうやってサボろうか、どうやって生きて帰ろうか考えていた、と話していた。
祖母は、大変だったよ〜、とあまり詳しいことは話してくれなかった。
祖父が朝鮮半島から生きて帰ってくれたから今俺がいる。
母方の祖父はフィリピンへ出兵していたと母から聞いている。
あの時代を生き抜いてきたんだ。
俺の実家は昔からの家なので、生きた時代は違えども、映画の中の風景と重なる部分がたくさんあった。
時に鼻歌を歌いながら針仕事をするシーンや、タンスの色合いや着物を収納する行李、背比べのキズのついた柱。
広島と青森、まるで違う場所なのにものすごく郷愁を覚えた。
きっと日本中で同じ様な感覚を抱いた人がいるに違いない。
主演の能年ちゃん、最初はあまちゃんのイメージからか違和感があったけども、
気がついたら能年ちゃんは完全にすずさんになってた。
ボーッとしてるけど朗らかで時に激しいすずさんを演じた能年ちゃんと、あまちゃんでアキを演じた能年ちゃん。
どちらも彼女しか考えられないくらい役になりきってた。
事務所問題で色々あるけれどもずっと応援したい女優さんだ。
色々なことを考え過ぎて全くまとまらない。
時代は違えど「生きる」ということは変わらない。食べること、寝ること、愛を営むこと。そしてその日常を守るために働くこと、戦うこと。
そんな日常の尊さ、大切さをしみじみと感じさせてくれる名作でした。
スクリーンが少なくて、気になってるのにまだ観られない人も、なんとか観て欲しいと思う作品です。
一人でも多くの人にこの映画が届きますように。
ヒッチハイクと俺
たまに見かける高速道路SAでのヒッチハイカー。
「お~若いのが頑張ってるな~」程度でいつもスルーしてた。
今日、仕事のために北上する途中、給油のために立ち寄ったSA。
ヒッチハイカーがいた。大学生くらいに見えた男性。
いつもなら上記のようにスルーしたけども、
我ながらなんだか知らないが声をかけてみた。
「青森方面だったら岩手山SAまでなら乗せられるよ」
「北に行くならぜひお願いします。」
気さくな若者だった。
大学生かと思ったら19歳のフリーター。
大阪からはるばるヒッチハイクで来たそうな。
「ちょうどバイト先が改装で10日くらい休みで、
ずっと北海道行ってみたくて、夜勤明けでそのまま来ちゃいました」
おーおー若いねー。
その若さと勢い、おじさん大好きだぞ。
大阪から来た若者は、
もちろん東北の詳しい地名や名物はあまり詳しくなく、
「さっきの前沢は前沢牛で有名なところでさ、
西の松坂、東の前沢っていうくらい美味いんだ。」
「もうすぐ岩手山が見えるよ。独立峰でキレイに見えるとカッコいいんだ。」
「曇ってて残念だね。帰る時上り線からも岩手山がキレイに見えるところがあるから、
見逃さないようにね。」
などと話題になりそうな景色の話で間を埋める。
「二十歳になる前に何かしようと思って。
で、ずっと行きたかった北海道にヒッチハイクで行こうと思ったんです。
高校を卒業してフリーターになったけど、
去年は何もしてなくてただ歳をとっちゃっただけだったんですよ。」
「今年は踏み出したじゃん。その一歩は大きいよ。
歳をくうほどにはじめの一歩がおっくうになっちゃうからな。
若さと時間があればいろんなことができるから。」
言葉の端々にフリーターという立場や金銭的な悩みは感じ取れたが、
説教臭いおじさんにはなりたくなかったので、
出来る限り前向きな言葉を送ろうとした。
19歳と36歳。
2倍近く生きてきたけど基本的な中身は何も変わっちゃいないのが不思議な感じだ。
19歳の時何をしてただろう、将来やりたいことなんて何も考えていなかったな、
などの追憶を辿るとともに、
勢いで大阪から飛び出してくる若さに嫉妬した。
その若さを応援したくなった。
「北海道まで行くなら青森から新幹線かフェリーか、八戸からフェリーだね。
もし八戸からフェリーで行くならこのまま乗っていけばいいよ。
青森の健康ランドに泊まろうとしてた?
それなら八戸にも新八温泉って健康ランドがあるからそこまで乗せてくよ。」
仕事の時間まで余裕があったからそこまで具体的に提案できた。
若者は、ヒッチハイクが順調すぎる、とテンションが上がっていた。
大阪からヒッチハイクで行き先は北海道。決めてるのはそれだけらしい。
「よい旅を。楽しんでね。」
若者を健康ランドに下ろし仕事に向かう。
明日にはフェリーでさらに北に向かっているだろう。
ヒッチハイクの旅が終わり日常に戻った時に、
彼の中になにかいいものが残っていて欲しい、と願った。
がんばれ若者。
Twitterと私
ツイートする時に気をつけていること。
・人の名前をネタにしない
大喜利ムードの時にやりがちですが、
名前は大切なものなので、いじるべきではないと考えてます。
過去にネタにしてたらごめんなさい。
・「男は○○」とか「女を○○」とか主語を大きくしない
ツイートした本来の意図とは離れて、余計な所に飛び火しがちなので避けてます。
目の前で起きた事象は個別なもので、一般的なものではないと認識したほうがベター。
・知ったかぶりをしない
ツイッタランドには警察がいっぱいいるので、
知ったかぶりをすると、専門職の人から指摘をされて恥ずかしい思いをしてしまうので、
専門外の事や憶測でモノを言うのは避けてます。
・何でもかんでも首を突っ込まない
相互フォロワーならまだしも、
一方的なフォローだと、相手は自分の事を知らないということを認識するべき。
リプライを送る前に相手との関係性を考えてます。
・生き死にをネタにしない
デリケートな話題なので、ふわっとオブラートに包みます。
以上の事に気をつけると、
毒にも薬にもならないツイートしかできなくなりますが、
燃えることもないので静かにツイッターライフを楽しむことができます。
ただ自分のスタンスとしては、
人それぞれだからいいと思いますよ。
— 人それぞれbot (@hitosore) 2015, 9月 24
なので自由に楽しんでください。
友達100人できるかな
マイミクは?フォロワーは?Facebookの友達は?
引きこもり時代に人から言われて、心に響いた言葉。「助けてって言いなさい。勝手に遠慮して諦める前に言いなさい。今は、助けたくても、お節介が焼き辛い時代なの。伸ばされた手は取れるけど、手を伸ばしてくれないと掴めない。必ず掴んでくれる人はいるから、信頼できる人を探す努力をしなさい。」
— 志乃☆ストリエ連載中 (@shinoegg) 2015, 8月 2
うちの奥様のツイートなんですけどいい言葉ですよね。
個人的な解釈としては、
友達がいっぱいいれば誰かが助けになってくれるかもしれない、
ととらえました。
こういう言い方はあまり良くないかもしれないけど、
数が多いってことはリスクヘッジできるってことなんですよね。
困ってる時に誰かは助けになってくれるかもしれない、
という可能性を少しでも増やすためにも、
友達は多い方がいいと思うんですよ。
そんな計算してるなんて腹黒いな!
って思う人がいるかもしれないけども、
個人的には自分にとってメリットがある人が友達なんです。
一番のメリットは「一緒にいて楽しい」ということ。
それ以外はおまけです。
自分の楽しいセンサーの感度を上げてれば、
色んな事に共感してくれる仲間が増えてくると思うんです。
その中から友達に変わっていくんじゃないかな、と。
で、友達同士で悩みを相談したり共有したり解決したり、
色々とつながっていくんじゃないかと思います。
津軽弁で「悪いね、ありがとう」は、
「めやぐだな(迷惑かけるね)」って言うんです。
困ったときはお互い様なんだから、
「めやぐだな」って言える相手を増やしたいものです。
つれづれ
お洒落であることと、ちゃんとすることは近いような気がする。
もちろんそれも自分に余裕がなければできない事だから、
今よりも老けてた
よく生きるには、セルフマネジメントができる、考えることができるだけの余裕は必要だ。
自分を好きでいられるように努力をすれば、
充実感や自己肯定
ただ、
自分と向き合いながらバランスを取らなければいけない。
受け入れるだけの器は必要。
なんだか何を言いたかったかよくわからなくなったわ。
よく生きたいものだ。